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坂本龍馬参墓

  
2020/12/7  ”二階堂 新がゆく”   
ーいよいよ季節は師走へ。12月初めの週末、1泊2日の京都シーン行を敢行する。12月4日金曜日の午後、東山の霊山護国神社にある坂本龍馬の墓に参る。高台寺駐車場横の急勾配の坂道をマウンテンバイクを降り、息を切らせながら押して登る。数百メートルで京都霊山護国神社に到着。愛車を駐車場に停めると、境内の石段を登り龍馬の墓に対面する。学生時代から龍馬ファンだった二階堂、数年毎に坂本龍馬の墓参りに通っていた。  
 コンクリート製の鳥居の奥に石碑が3本建ち並ぶ。左が小間使いだった藤吉、左が盟友の中岡慎太郎、そして中央の石碑が坂本龍馬の墓。明治維新前夜の慶応3年(1867年)11月15日夜、京の醤油商近江屋母屋二階で潜伏中だった龍馬は京都見廻り組隊士6人の襲撃を受け、隊士桂早之助の凶刃によって絶命。その場に同席していた中岡慎太郎も襲撃され、2日後に死亡。龍馬が暗殺されたその日は奇しくも龍馬の誕生日だった。幕末の風雲児坂本龍馬、ここに眠る。合掌  
 まだ少し時間があったので、西日が差す夕刻の境内山腹をカメラを手に歩く。霊山護国神社の境内には新しい時代の到来を信じ、討幕運動に奔走し、明治維新誕生の先駆けとなった志士たち1356名の御霊が祀られている。日没前の木漏れ日に照らされた石碑群に耳を澄ますと、幕末の志士の声と志が静かにわが魂に語りかけて来る。  
 翌日の12月5日午後、霊山護国神社の向かいにある幕末維新ミュージアム霊山歴史館を見学する。歴史館正面入口には現在展示中の「志士たちの魂にふれる」企画展の看板があり、坂本龍馬と徳川慶喜の等身大パネルが立つ。  
 入場料900円を払い、館内へ。直ぐ右手ケース内に同館秘蔵の龍馬を斬った刀が展示してある。慶応3年(1867年)11月15日、近江屋母屋二階で龍馬を斬った京都見廻り組隊士の桂早之助が用いた脇差。狭く天井が低い京間の家屋二階での接近戦を想定し、小太刀の名手桂がこの脇差で龍馬の額を一刀両断した。刃毀れした刀身が妙に生々しい。  
 続いてガラスケース内に172センチの等身大のシリコン製造型の龍馬像が展示中。顔、表情、頭髪がリアルで生き生きとした龍馬の実像を観客に伝える。他にも幕末の志士たちと彼らに関する資料、手紙、身長比のデータなどが一階と二階の展示スペースに飾られる。ゆっくりとメモを取りながら、見て回る。  
 最後に一階の売店コーナーで、龍馬暗殺の諸説を徹底検証した名著「龍馬暗殺の謎」(木村幸比古 著、PHP親書)を購入する。かくして1泊2日のわが坂本龍馬行を終え、午後3時過ぎ霊山歴史館を辞す。  

ー写真カットは霊山護国神社にある坂本龍馬の墓。鳥居奥の左側の石碑が龍馬の墓。12月4日撮影。  
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わが故郷児島と下津井を歩く!

2020/11/25  ”二階堂 新がゆく”  
ーこの夏に帰省し、炎天下の中取材を続けたため、帰省後夏バテでダウン。遅くなったが、改めてここに以下のレポートをアップする。
 この夏、8月に帰省。墓参りを終え、十数年振りにわが故郷、倉敷市児島と下津井を歩いた。以下、その紀行記を記す。今回、高校の先輩でもあり、地元で観光ボランティア活動を続けられる熊城秀樹さんの協力を得ることが出来た。ここに感謝の意を表する。 
 8月22日午前10時前、JR児島駅前のビジネスホテルを出ると、タクシーで待ち合わせ場所の野﨑家旧宅へ。熊城さんに児島と下津井に関する資料を頂き、本日のルートについて打ち合わせをする。車で出発する前に、直ぐ近くの児島ジーンズストリートを二人で歩いて回る。  
 嘗て旧味野商店街が2010年に32店舗のジーンズ専門店に特化した児島ジーンズストリートとして再生し、スタートした。高校時代、私は毎朝学生鞄を下げて、旧味野商店街を歩いて通り抜け、高校に通っていた。49年後、その商店街はなくなり、洒落たジーンズストリートに変貌。わが母校も閉校に至り、新設の高校に編入・移転されたという。  
 児島は嘗て1970年代の全盛期の頃、学生服生産量日本一を誇った。1940年、創業者の尾崎小太郎が児島で縫製業を開始する。1960年代に国産初のジーンズBig Johnを発表。Big Johnの名は一躍全国の若者の間に知れ渡った。現在、スーパーだった旧吉岡のビルにBig Johnの本店がある。  
 次に熊城さんの車に乗り、下津井城へ向かう。途中、風の道を通る。嘗て「下津井駅」から「茶屋町駅」の約6.3kmを繋いでいた下津井電鉄の軌道跡。平成3年(1991年)に廃線となり、現在歩行者と自転車専用道として整備され、「風の道」と名付けられる。下津井城は16世紀末、宇喜多氏によって標高89メートルの城山の頂上付近に築かれた城砦。下津井沖の備讃瀬戸は対岸の坂出までの距離が最も狭く、古来より瀬戸内海の海運・軍事上の要衝であった。  
 慶長5年(1600年)9月、西軍の副大将宇喜多秀家は関ケ原の戦いで敗北し、八丈島に流罪となる。寛永16年(1639年)、一国一城令により下津井城は取り壊され廃城へ。城山には天守閣跡、西の丸跡、二の丸跡が僅かに残る。真夏の炎天下、汗を拭いながらマスクを着用してデジタル一眼レフカメラで下津井城跡を撮り歩く。   
 昼時になったので、下津井漁港に面した通りにあるレストランに入る。近くの無料駐車場に車を停め、歩いて店内へ。夏休みも終わりに近付いた週末の土曜日、店の前にはハーレーダビッドソンの大型バイクが停めてある。観光客で賑わう店の中へ。あまり気が進まなかったが、メニューを見て下津井名物のマダコが入ったタコカレーを注文する。待つこと暫し。ぷりっとした歯応えがあり、新鮮なマダコがカレーとよくマッチし、予想外に美味!いい気分で昼食を終え、次は再び車で鷲羽山へと向かう。  
 標高133メートルの鷲羽山は日本初の国立公園になっており、展望台から眼下に多島美を誇る瀬戸内海が一望出来る。小学生の頃、遠足で鷲羽山のこの展望台にやって来た時、夢の架け橋瀬戸大橋と銘打った石盤が飾られていた。当時は想像も出来なかったが、1978年に工事が起工され、1988年4月10日、3つの吊り橋と島々を繋ぐ総延長13キロメートルの児島~坂出ルート瀬戸大橋が完成する。鉄道・道路併用としては世界最長の橋。その瀬戸大橋の威容をデジタル一眼で撮る。  
 最後に瑜伽山蓮台寺へ足を伸ばす。江戸時代、備前国岡山藩の保護を受けた。岡山から藩主が御輿に担がれ、一日かけて山中にある蓮台寺まで参詣。本殿で祈祷を行ったとされる。平成19年(2007年)、総高7m59cmの日本最大の木造仏像の不動明王が完成した。仏教徒の二階堂、早速二階にある本殿に上がり、蝋燭と線香を立てると、わが心願を祈願する。合掌 
 夕方、車で児島駅前に帰り着く。最後に、一日中車で案内して頂いたお礼に熊城さんに赤ワインを進呈する。かくしてわがふるさと行を無事終え、ホテルの宿へ帰館する。   


飛田新地を歩く!

   
2020/11/17 ”二階堂 新がゆく”   
ー二階堂 新の紀行シリーズは続く。駅のロッカーにトランクと荷物を預け身軽になると日曜日の午後、西成のもう一つのディープスポット、飛田新地へと向かう。地下鉄堺筋線「動物園前駅」で降り、歩いて目的地の飛田新地を目指す。玉出スーパー前の商店街を通り抜けると、飛田新地の入口北門跡を発見。早速、iPhoneで撮る。改めて南側の通りを見ると、前方に料亭が建ち並ぶ。iPhoneでその通りを撮ろうとすると、「写真は駄目!」と店の中から声が!?  
 やむなくiPhoneをDバッグに仕舞い、日曜日の午後3時過ぎ飛田新地を歩く。まだ陽の明るい午後、通りに面した各料亭の部屋では座布団やソファーに鎮座した白塗りの女たちが道行く男たちに微笑みを送る。  
 「お兄さん、寄ってらっしゃい!いい娘いるよ」横で白い割烹着を着た遣り手婆が通りを歩く男たちに声を掛ける。通りを歩きながら左右の店を眺めて歩く私にも店の女の子たちが手を振る。私も彼女たちに手を振って答える。  
 和服、セーラー服、コスプレとさまざまな衣裳を着た白塗りの女たちが通りを行く男たちにアピールする。なぜか女たちは皆巨乳で年齢も20代前半と若く、ルックスもAKB48にも負けないアイドル並みのハイレベル。でも店の奥の座敷で鎮座する彼女たちを何人も何人も眺めていると、不思議と皆同じ顔に見えてくる。飛田新地の通りを歩く男たちも若い。20代前半の学生風、数人で連れ立って歩く若者のグループも。近くには駐車場もあり、車でやって来る客もいる。  
 明治45年(1912年)、難波新地にあった遊郭が全焼するミナミの大火が発生。廃業・移転を迫られた業者たちによって阪南土地建物会社が設立され、阿倍野墓地北側の低地に代替地を求め、大正5年(1916年)から1期から3期に及ぶ工事が着工された。大正10年(1921年)、現在の場所で飛田新地が遊郭として開業された。  
 飛田新地の各料亭は料亭街「飛田新地料理組合」所属となっており、営業内容は昭和33年(1958年)の売春防止法施行以前と変わりがない。表向き料亭に転向することで料亭内で客と仲居との自由恋愛という名の下、現在も公然と売春行為が行われている。橋下徹が弁護士時代、飛田新地料理組合の顧問弁護士を務めていたのは有名な話。  
 歩き疲れて、時計台前のベンチでひと休みする。西成区山王3丁目一帯に広がる飛田新地の東側に昔あった壁の一部が残っている。大正時代の当初、飛田新地の周囲は高さ5メートルの壁に囲まれ、東西南北に4つの門があった。高さ5メートルの壁は「嘆きの壁」と呼ばれ、遊女が脱出出来ないように防いでいた。高さ5メートの壁はベルリンの壁の高さと同じで、人間が脱出出来ない高さ。
 最後にもう一度、青春通りとメイン通りを歩いてみる。夕闇が迫る午後5時過ぎ、ネオンが灯り始めた飛田新地の料亭の女たちが道行く男たちを怪しく誘う。   
 21世紀の2020年現在も嘗ての戦前の遊郭が「チョンの間」として残る飛田新地。料亭の形式を装い、客と店の女との自由恋愛という名目で公然と売春行為が行われている飛田新地。独身フリーライター二階堂、私は若き日の米大学留学時代も現在も自由恋愛を追及してきた。2020年秋、私はこの目でしかと飛田新地を見て歩いた。  
 そして今、私の結論を言う。青春通り、メイン通り、妖怪通りの飛田新地よ、さらば!   

ー写真カットは大門通りから見た飛田新地の通り。前方北側一帯に日本最大級の遊郭、全159店の料亭街が碁盤の目のように広がる通りに建ち並ぶ。11月8日撮影。  

西成を歩く!

                     2020/11/15 ”二階堂 新がゆく”  
ー秋も深まった11月初旬、敢えてコロナ禍最中の大阪取材を決行する。西成区あいりん地区の1泊2500円の高級ビジネスホテル(笑)に宿泊し、毎朝体温計で体温をチェックし、毎日外出と取材時には必ずマスクを着用。危険な場所には行かず、怪しい女には近寄らない(笑)  
 西成取材は今回で三度目。毎回同じホテルに連泊し、地下鉄堺筋線「動物園前駅」を降りた、通称あいりん地区と呼ばれる萩之茶屋周辺一帯をカメラを手に歩いた。三度目の西成行、2日目の11月7日は生憎の朝から曇天で、夕方から雨。天候に恵まれず、やむなくホテルの部屋で終日読書と明日のスケジュール作りをして過ごす。当ホテルには入浴券が付いており、夜直ぐ近くの銭湯へ。風呂上がり、コンビニ店で夕食の買出し。小雨の中、目の前の通りを巡回中のパトカーが通り過ぎる。  
 西成あいりん地区では常時十数人の警察官が自転車とパトカーで巡回しているといわれる。路地の通りには無料の自転車置き場が整備されており、生活保護受給者用の福祉専門のアパートが点在する。何故かカラオケ店があちこちに。年配の親爺たちが店の女とマイク片手にカラオケで熱唱中。店の外にもマイクの音が響く。彼らなりの回春法なのか。  
 翌日の8日日曜日は朝から快晴。午前10時、Dバッグを背に滑車付きのトランクを引きながらホテルを出る。日曜日午前の西成あいりん地区一帯を歩く。萩之茶屋1丁目の通りを南へゆっくりと歩く。何故か通りには多くの人がぞろぞろと歩いている。数分で西成警察署が見えてくる。白い鉄筋コンクリートの要塞のような建物が前方に聳え立つ。1990年代、西成で暴動が多発した頃、当時まだ木造建てだった西成署に暴徒らによって火炎瓶が投げ込まれたことも。  
 そのまま南へ歩くと、萩之茶屋南公園、通称三角公園がある。公園前の立ち飲み酒場 成り屋では日曜日の午前から常連客が立ち飲み中。良く晴れた日曜日の午前、三角公園には数十人のおじさんたちがベンチに座り談笑中。公園内のバラックにはホームレスが住み着く。公園に接する地区には福祉専門の小綺麗なマンションが建ち並ぶ。西成ルポ記「ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活」の著者國友公司によると、公園の西側一帯は西成のあいりん地区を仕切るヤクザの組事務所の密集地帯とか。君子危うきに近寄らず。  
 再び公園横の通りを北上し、西成職業安定所を目指す。本通りに出る手前、雑然とした一角がある。ホームレスのブルーシートの住居が建物沿いに続き、あいりん地区開放を訴える左翼系のビラがあちこちに貼られている。日曜日のため、あいりん職業安定所は休日。建物の周囲は固く閉ざされている。2007年3月、千葉県市川市で起きた英国人英会話教師だったリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件で、逃亡中の市橋達也容疑者がここ西成のあいりん職業安定所で求人を見つけ、建設会社の寮に潜伏していたとされる。  
 最後に表通りを東へ、地下鉄堺筋線「動物園前駅」を目指す。交差点のビルの壁面には覚醒剤追放を訴える垂れ幕が下がる。正午過ぎ、地下鉄の駅へと向かう階段を降り、西成を辞す。これで三度目の西成行。さらば、西成よ!    

ー写真カットは「動物園前駅」の交差点から見た西成あいりん地区への入口風景。ビルの壁面には覚醒剤追放を訴える垂れ幕が。11月8日撮影。  
  

桜井誠、「虎ノ門ニュース」に抗議街宣!

     
2020/7/12  ”時事評論”   
ー都知事選最中の6月24日、東京都知事選の立候補者桜井誠は「虎ノ門ニュース」の録画中、スタジオ前に街宣車で乗り付け40分間にわたり、街宣活動を行った。切っ掛けは経済評論家の上念司が昨年、同番組で行った「馬鹿右翼」発言に対する抗議。  
 虎ノ門のスタジオ周辺は見学者、ホリエモン新党の都知事選立候補者の服部修や警察関係者、日本第一党の関係者らが入り乱れ、一時騒然となった。   

        *        *        *     

ー先に喧嘩を売ったのは上念司の「馬鹿右翼」発言。経済評論家の上念司はこれまでも何度か舌禍事件を起こしてきた。マシンガン・トークはトラブルの元(笑)「虎ノ門ニュース」側は今回の桜井誠の抗議活動で「スタジオ見学者、視聴者の皆さんにご迷惑をお掛けしました」と主張するが、都知事選立候補者桜井誠氏への名誉毀損、桜井候補に対する誤った報道を番組内で伝えた「虎ノ門ニュース」側の責任は如何に!「虎ノ門ニュース」の桜井誠に対する偏向報道こそ問われるべきではないのか!?  
 日本第一党党首の桜井誠を私は全面的に支持はしないが、政治活動家としてマスコミや知識人が避けて通る同和問題や在日特権といった日本のタブーに15年来、正面から言論活動で挑み続けた彼の戦うその姿勢は評価したい。   

ー写真カットは6月24日午前、「虎ノ門ニュース」録画中、スタジオ前で上念司の「馬鹿右翼」発言に抗議し街宣活動を行う日本第一党の桜井誠都知事候補。   

プロフィール

二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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