元旦の仁和寺成就山行


2017/1/5  ”京都散策行”  
ー全国の皆さん、新年明けましておめでとうございます。本年2017年もよろしくお願いします。今年最初のブログ、元旦の仁和寺初詣でと成就山88ヶ所巡拝行のレポートを以下、お届けします。  
 元旦の快晴の午後、愛車のマウンテンバイクでわが仁和寺へ。正午過ぎ、仁和寺仁王門に到着。ニコンF80のフィルム・カメラとコンパクト・デジカメとiPad Proの三刀流で正月元旦の仁和寺境内を撮り歩く。仁王門の阿吽像に始まり、勅使門、中門、五重塔、金堂と進む。国宝の金堂の前で持参した線香を立て賽銭を投げ入れ、わが心願を祈願する。  
 その後、水掛不動尊、御影堂にもお参りすると、一度西門を出る。西へ歩いて150メーター程、本日の目的である成就山御室88ヶ所霊場第1番霊山寺へと向かう。毎年元旦の恒例である成就山巡拝行を始める。山中の道程4キロ、所要時間約2時間のわが行が、ここからスタートする。元旦の午後、少し薄暗い雑木林と冬の冷気の中、各札所を巡る。一番一番立ち止まり賽銭を入れ巡拝すると2時間以上費やすため、それはまたの機会とし、本日はフィルム・カメラとデジタル・カメラで写真も撮りながら、さっさと歩きながら回ることにする。  
 前半は急勾配と急峻な石段のコースが続く。息が切れ、次第に足が上がらなくなる。それでもゆっくりと一歩一歩足取りを確かめながら歩き続ける。やがて山頂付近の平地へ辿り着く。そこに、托鉢姿で行脚中の空海の立像が立っている。線香を上げ賽銭を籠の中に入れ、台座に攀じ登ると、コンパクト・デジカメでツーショットを試みる。  
 さらに巡拝行路を進むと、成就山頂上を示す小さな標識がある。その一帯は木々が刈り込まれた展望台になっており、手前に京都市内右京区、遙か遠方には大阪方面まで見渡せる。木製のベンチにDバッグを下ろすと、ここでわが行を執り行う。  
  天に在すわが神龍に願い奉る。  
  我に力を与え給え。  
  我をして尚、戦い続けせしめ給わんことを願う。合掌  
 成就山山頂で天に向かって、三度唱える。  
 後半は下り坂のコースとなり、巡拝の速度もピッチも早まる。下り坂の途中、もう一ヶ所京都市街を見渡せる展望台がある。コンクリート製のベンチが二つ並び、前方の木々は綺麗に刈り取られており、ここから京都市街全体を鳥瞰することが出来る。早速、ニコンF80とiPad Proで静止画と動画撮影を行う。そして終盤コースは平地が続き、札所も集中して並ぶため、一気に巡拝行はフィニッシュへ。  
 2時間後、最後の第88番札所大窪寺に到着、結願する。それから靴を脱いで本堂に上がり、ご本尊の前で般若心経を唱え、わが心願を祈願する。合掌。かくして新年元旦の仁和寺初詣でと成就山御室88ヶ所巡拝行を終え、午後4時過ぎわが仁和寺を辞す。 

ー写真カットは、成就山山頂付近に立つ、わが崇拝する「大いなる空よ!かくも深き海よ!」のお方とツーショットの二階堂です。まだ出家はしない(笑)2017年1月1日午後撮影。  

スポンサーサイト

ゆく年くる年


2016/12/31  ”本日の出来事”  
ー本日、大晦日の夜、今年最後のブログ・アップとなります。本年2016年を振り返ると、あまりに多くのことがあり過ぎたこの一年。
 4月の熊本地震に始まり、日本各地で地震が発生した。この夏は記録的な酷暑となり、9月、10月初めになっても残暑が続いた。
 日本国内では都知事選、衆院補選があり、安倍首相はキューバ、アメリカのニューヨーク、ハワイを初め各国を歴訪。オバマ大統領がヒロシマを訪問し、ロシアのプーチン大統領が訪日し、安倍首相と会談した。  
 また沖縄の高江では、反対派住民らによる米軍基地建設反対運動が続いた。さらに南シナ海の南沙諸島では、中国が軍事基地の建設を着々と進める。  
 海外に目を転じると、北朝鮮、中国、フィリピン、シリア、アフリカ、ロシア、そして米国と世界各国で独裁者が跋扈した2016年。正に世界にとって、2016年は「厄年」だったのか!?それとも大いなる激動と変革の始まりへの助走の年となるのか!?来年年明けに、また10大ニュース世界編と日本編をアップする予定です。  

 かくして2016年が過ぎ去り、今新しい年2017年がやって来ようとしています。それでも日はまた昇り、地球は回り続ける。2017年が皆さんにとって、良い年でありますように。合掌    

ー写真カットは、仁和寺の五重塔。2016年1月2日撮影。  

  

電通OLはクリスマス・キャロルを聴くか


2016/12/25  ”時事評論”  
ー3連休最後の夜のひととき、皆さん、如何お過ごしでしょうか。今日はクリスマス。因みに私は仏教徒なので、クリスマス・イヴもクリスマスも祝いません(笑)そして本日は、昨年の2015年12月25日、東大卒の電通女子社員、高橋みのりさん(当時24歳)が、電通の女子寮から投身自殺した日である。  
 高橋まつりさんは東大を卒業後、2015年4月、電通に入社。半年後、正社員として採用されるが、月100時間を越える残業、土日も出勤し、男性上司によるパワー・ハラスメントにも悩まされ、過労とストレスによりクリスマスの25日、会社の寮から投身自殺した。 
 現在、高橋まつりさんの生前のツイッター、まつり@matuririri は鍵が掛かりリツイートも閲覧も出来ないようになっているが、私は運良く規制が入る直前にフォローすることが出来た。以下、高橋さんのラスト・ツイートを記す。   
  まつり@matuririri 2015/12/20  
  男性上司から女子力がないだのなんだのと言われるの  
  笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界がある。 
  おじさんが禿げても男子力がないと言われないのずるい
  よね。鬱だ~。   

 その高橋まつりさんの自殺から一年後の本日、母親の幸美さんが報道各社に向け手記を寄せた。手記には娘を失った悲しみ、娘の死が社会を変えたことへの意義が綴られ、また母親として娘を助けられなかった幸美さん自身の後悔の言葉が並ぶ。  
 電通では、高橋さんの自殺だけでなく、男性社員2人の過労死もあり、この秋、事態を重く見た東京労働局と三田労働基準監督署による電通本社に対する強制調査が始まった。司法によるメスは電通本社に留まらず、大阪など3支社と主要な子会社にまで及ぶ。厚生労働省による強制捜査は、電通の違法残業の実態を解明すべく、長期化する見通し。  

       *       *       *   

 東大卒の電通新人OLはクリスマスのその日、クリスマス・キャロルの聖歌を聴くや!?娘を失った母は、電通に娘の過労自殺を訴え続けた。当時、電通の圧力もありテレビ局も大手新聞社もほとんど報道しなかった。しかしやがて高橋まつりさんの死は、社会を法制度をそして電通の労務体質を変えた。  
 そして一年後の今日、天国の高橋まつりさんにその声が届きますように。合掌  

ー写真カットは、生前の高橋まつりさんのツイッター画像。  

  

   

世界が見捨てた町、アレッポの今


2016/12/25  ”時事評論”  
ーシリアのアサド軍は22日、反政府勢力の完全撤退を受け、北部の主要都市アレッポを完全制圧したと発表した。またシリアの政府軍は、「アレッポの治安を回復した」と声明を発表。  
 「この勝利は戦略的変化および対テロ戦争の転換点となる一方、テロ計画とテロ支援者たちにとって、壊滅的な打撃となる」と政府軍が発表。シリア政府は反政府勢力を「テロリスト」と呼ぶ。さらに政府軍は、今回の勝利を機に軍は引き続き「テロを排除し、国土全域に治安と安定を回復させるため」戦い続けると表明した。  
 国連関係者によると、今月15日以降、3万4千人以上の市民と反政府勢力がアレッポから脱出したといわれる。6日間にわたる政府軍とロシア軍によるロケット弾と樽爆弾の苛酷な空爆で市民は家を焼かれ、破壊され、家族を失い、住む土地も奪われ、過去の思い出も夢も捨て、アレッポを去る。町を追われる男は卑劣なアサド軍に憤り、黒服の女たちは嘆き悲しむ。氷点下に近い大雪と強風、避難用の車両が整備不良で故障しがちの中、数千人の市民らは次々とバスに乗り込み、国連の監視下でアレッポ脱出行が始まった。  
 アレッポは、かつてシリア最大の都市であった。2011年3月のシリア内戦以来、アレッポ市街は政府軍が西側、反政府勢力が東側を支配してきた。2015年9月末、ロシア軍がシリア空爆に参加した。今年に入り、アサド軍はイランのイスラム教シーア派民兵の加勢もあり勢力を盛り返した。9月初め、アレッポ東部を包囲すると、住民を飢餓状態に追い込む。さらにロシア軍の空爆と地上の特殊部隊の援軍を得て、11月中旬には反政府勢力の防衛線を突破。その後も政府軍は迅速に進攻を続けた。停戦合意が成立した今月中旬には、アレッポ市内全域を掌握するに至る。   

 米国が欧州が世界が見捨てた町、アレッポ。そして今やこの地には、市民、女子供、病院までも空爆し、自国民50万人を殺害・虐殺し、全人口2200万人のうち、500万人を難民として国外へと追いやったヒットラー以上の独裁者、神をも畏れぬ「21世紀のモンスター」、シリアのバッシャール・アサド大統領がこの世のホワイト・デビルの如く君臨する。  
 翻って本年、アジアでアフリカで欧州でそして米国の各国で独裁者が跋扈した2016年、やがて世界は、人道主義と民主化運動の死という取り返しの出来ない過失とその付けを思い知らされることになるだろう・・  

ー写真カットは、厳寒の雪の中、アレッポを追われ、市民らが乗り込む脱出用のバスが延々と並ぶシーン。12/21付、AMCのニュース動画から転載。  

真珠湾攻撃から75年


2016/12/13  ”時事評論”   
ー12月8日は、75年前の1941年12月7日(ハワイ時間、日本時間8日未明)、真珠湾攻撃があった日である。山本五十六連合艦隊司令長官による軍事作戦と命令の下、それに先立つ11月26日早朝、日本海軍空母機動隊の空母「赤城」を旗艦とする南雲機動部隊が、エトロフ島のヒトカップ湾をハワイに向け出港した。  
 12月7日朝、ハワイ(当時は米国の準州)のオアフ島真珠湾にある米海軍太平洋艦隊基地を日本海軍の戦闘機数百機が二派に分かれ、次々と攻撃した。この真珠湾攻撃により、米海軍は戦艦「アリゾナ」を含む8隻を撃沈もしくは航行不能とされた。戦死者は、民間人68名を含む2、413名。  
 12月7日のその日、米国は日曜日であった。その朝、ワシントンの駐米日本大使館に出勤した電信課員は膨大な暗号電報を解読し、その覚書が野村吉三郎駐米大使から国務省のハル国務長官に手渡されたのは、真珠湾攻撃の1時間後であった。その結果、野村大使とハル国務長官が和平交渉を続けていたにもかかわらず、外務省と現場の大使館員の手違いもあり、日本側の正式な宣戦布告は米国に正確に伝わらなかった。  
 日本海軍による米国の意表をつく奇襲攻撃とも言える真珠湾攻撃を当時の米国マスコミは一斉に騙し討ちと報じ、「リメンバー・パールハーバー!」と米国民の感情を煽り立てた。ここに、米国民の反日感情は沸騰。開戦に消極的であったフランクリン・ルーズベルト大統領は、この米世論の後押しにより米議会で開戦の承認を得る。翌日8日、米国は日本に宣戦布告した。かくして世界はその後、3年9ヶ月に及ぶ世界大戦へと突入する。   

       *       *       *   

 そして真珠湾攻撃から75年後、12月26日・27日の両日、安倍晋三首相とバラク・オバマ大統領が揃ってオアフ島の真珠湾を訪問し、戦死者に慰霊する。さらに現在、米太平洋軍司令官は、日系人のハリー・ハリス氏である。日米開戦により、米国の日系人は全財産を没収され、砂漠の強制収容所に隔離された。戦後も、日系アメリカ人は壮絶な差別と迫害を受け続けた。  
 真珠湾攻撃から75年後の21世紀、日米は過去の恩讐を乗り越え戦後を清算し、新しい同盟と希望の架け橋の始まりとなるか!?  

ー写真カットは、靖国神社の遊就館に展示してある復元された零戦(零式艦上戦闘機)の勇姿。2004年11月19日撮影。  

プロフィール

二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
二階堂 新 賢者は、かく語りき
最新記事
カレンダー
12 | 2017/01 | 02
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる