アメリカよ、汝、驕ることなかれ

2014/9/13  ”本日の出来事”  
ー9月11日は、航空機を使った4つのテロ事件が起きた米国同時多発テロ事件が発生した日である。13年前の2001年9月11日の朝、日本人24人を含む3、025人が犠牲者となった同時多発テロから13年を迎え、ニューヨーク市の世界貿易センタービル(WTC)跡地グラウンド・ゼロでは追悼式典が開かれた。  
 この日、グラウンド・ゼロの人口池には早朝から遺族が訪れ、犠牲者の名前が刻まれたプレートには花が捧げられた。式典では犠牲者の氏名が一人一人読み上げられ、ハイジャックされた2機の旅客機がWTCの北棟と南棟に激突した時刻、午前8時46分と午前10時28分(それぞれ米東部標準時間)に合わせ、参列者は黙祷した。   
 その「9・11テロ」の前日、オバマ大統領は、イスラム教スンニー派の過激派組織「イスラム国」打倒のため、シリアへの空爆も含めた軍事作戦の拡大を表明した。米紙「ウオール・ストリート・ジャーナル」によると、以下;   
 「オバマ大統領は10日夜、シリアでの空爆開始を承認すると共に、1ヶ月前から行っているイラク国内での空爆を拡大する計画を明らかにした。これらの決定は、中東に対する米国の軍事的関与を大幅に深めることになる見込み。またこのことは、イスラム国の脅威に対する戦いが期限の定まらない長期的なものになるとのオバマ大統領の認識を示している」  
 さらに11日付、米紙「ワシントン・ポスト」(電子版)では、オバマ大統領が「イスラム国」の指導者、アブバクル・バグダデイ
容疑者の殺害を承認したと、米軍当局者の話として報じた。   
 まず始めに、オバマ大統領による「イスラム国」に対する空爆は、軍事的には効果が少ないと言われる。アメリカに追随する欧米中心の有志連合のみで、中東の国々はこれに参加していない。それどころか空爆によって「イスラム国」のメンバーとその支持者らは、より一層反米感情を強めることになるだろう。  
 さらには3年前のオサマ・ビンラデインの暗殺に続き、ノーベル平和賞受賞者でもあるオバマ大統領自身が、「イスラム国」指導者、バグダデイ師の暗殺まで承認した。かくしてオバマのアメリカは、「テロ」には「テロ」で対決するという13年前の「9・11テロ」当時のアメリカに再び舞い戻り、終に「テロとの戦い」の泥沼に足を踏み入れてしまった。  
 21世紀の軍事戦略の変化として、米国から何万キロも離れた中東の国々の要人に向け、米国ロッキー山脈地下深くにあるといわれる米軍秘密基地の司令室から無人機によって遠隔操作で偵察と爆撃が行われている。「9・11テロ」後もオバマのアメリカは、アメリカ流のロジックで「テロとの戦い」という戦争ビジネスに仕立て上げ、中東諸国の国々へ侵略を続ける。かくしてアメリカは世界中で嫌われ、自らが「反米感情」の種を蒔き続け、中東地域でイスラム過激派の勢力を増幅・拡大させていることにアメリカは未だに気付かない。   
 「イスラム国」はその行動力、資金力、ネットワークを駆使し、やがてアメリカ本国でテロ活動を仕掛けて来るだろう。オバマのアメリカよ、今再び「テロとの戦い」を武力によって繰り返すことなかれ。アメリカよ、汝、驕ることなかれ。  
 折りしも現在、日本の安倍晋三首相は、集団的自衛権容認を閣議決定し、「戦争のできる国」日本へと邁進する。今後、米軍と共に中東地域へ自衛隊が派遣されることも十分に考えられる。そしてやがて日本の首都東京で海外のテロリストが、
テロを引き起こす時代がやって来るかもしれない。   
 驕れる安倍首相よ、21世紀の今、日本を再び戦争への道に導くことなかれ。



















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テロリストは、海深く静かに眠れ

2014/5/2  ”本日の出来事”   
ー本日5月2日は、国際テロ組織アルカイダの指導者にして、「9・11テロ」の首謀者とされるオサマ・ビンラデインが暗殺された日である。    
 2011年5月2日未明(現地時間)、アフガンのジャララバードを飛び立ったステイルス型ヘリ2機に分乗した米海軍特殊部隊SEALSの精鋭隊員チームが、パキスタン領空内に侵入。イスラマバード郊外の豪邸に潜伏していたオサマ・ビンラデインを暗殺した。   
 暗殺後、その遺体はヘリで米軍基地に運ばれ、DNA鑑定を行い、さらにアラビア海に浮かぶ米海軍の空母へと搬送された。そしてアラビア海北方の海上で、ビンラデインの遺体は秘密裏にイスラム式の水葬に処されたという。
 暗殺作戦の終了直後、5月2日深夜(米国時間)、ノーベル平和賞の受賞者でもあるオバマ大統領は、異例とも言える深夜のビンラデイン暗殺成功の報告と記者会見をホワイトハウスで行い、全米に向け発表した。その時ワシントン中、ニューヨーク市中が人々の歓声に包まれたと言われる。   
 アボッターバードにあったビンラデインの潜伏先の屋敷はその後、信奉者たちによる聖地化を避けるため建物はすべて取り壊された。   

 ビンラデイン一族は、2代にわたりブッシュ・ファミリーとビジネス上で深く長い付き合いがあったとも指摘されている。また深夜に米特殊部隊隊員らによる急襲を受けた丸腰のビンラデインは、妻の一人を自らの盾としたとも言われる。   
 オサマ・ビンラデイン、享年54。私は、その死に合掌しない。テロリストよ、汝、アラビア海の海中深く静かに眠れ。



阪神・淡路大震災追悼の日

2014/1/17  ”本日の出来事”  
ー本日は、19年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が起きた日である。   
 1月17日のその早朝、神戸市沖の明石海峡地下16キロ・メートルを震源として、マグニチュード7.3の大
地震が発生した。震源に近い神戸市の東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区の被害は甚大で、また近畿圏広域の兵庫県、大阪府、京都府も一部被害を受けた。   
 負傷者は43792名、死者は6434名。その死者の80パーセントは、地震発生により木造家屋が倒壊し、
早朝の就寝中にその下敷きになって圧死した。戦後に発生した地震としては、2011年3月11日に起きた東日本大地震に次ぐ規模となる。  
 あの日から19年目の今日、震災の記憶の風化と被災者の高齢化が進む中、被災地各地では60を超える団体が、犠牲者を追悼する行事を執り行った。黙禱。合掌   
 1995年1月17日早朝の6時前、京都市内のアパートにいた私も、ベッドの中で実体験した。就寝中、いきなりアパート全体が縦方向と横方向に揺れ続けた。多分数秒間であったと思うが、ベッドの中の私には、それがとても長く感じられた。  
 直ぐにどこかで大きな地震が起きたと、直感した。その頃、私はテレビもパソコンも持っておらず、アパートにあるのは、ソニーのラジカセだけだった。当時、私は故紙回収の仕事をしており、朝食を食べ、会社の軽トラで営業所へ向かった。部屋の小型テレビが、慌しく臨時ニュースの映像を流していた。  
 その日、軽トラで京都市内を走り、私は一日仕事をした。夕方事務所に戻ると、またテレビのニュース映像を見た。燃え盛る神戸市街の町並みとビル街、まるで空襲を受けた太平洋戦争末期の都市の風景のようだった。その衝撃的な画像を見て、私はいても立ってもいられなくなった。しかしその当時、私は貧乏で車もバイクも持っておらず、休日に神戸へ取材に行く資金も持ち合わしていなかった。19年後の今になっても、悔やまれる。  
 そしてそれから16年後、さらなる未曾有の大地震と巨大津波が、東北沿岸を襲うことになる。我々は、この阪神大震災と東日本大震災の記憶を風化させてはならず、今後何年、数十年、数世代を費やしてでも復興を果たし、21世紀の日本の再生を成し遂げなければならない、  
 2014年、私はわがペンとデジタル・カメラを手に、今度こそは、神戸市と岩手、宮城、福島の東北3県の復興と再生と希望を見届ける。そして私は書き続け、その復興と希望をインターネットで発信し続ける。合掌









山中伸弥教授、ノーベル賞授賞式


「時事テーマ」:2012/12/11 ”海外ニュース”  
ー2012年のノーベル賞授賞式が10日夕(日本時間11日深夜)、ストックホルムのコンサートホールで開かれた。京都大学の山中伸弥教授(50)が英国ケンブリッジ大学のジョン・ガードン教授(79)と共に、スウェーデンのカール16世グスタフ国王から賞状とメダルを受け取った。   
 ノルウェーのオスロで授賞式が行われる平和賞以外の5部門9人の受賞者が、アルフレッド・ノーベルの胸像と
花々で飾られたコンサートホールのステージに集まった。   
 オーケストラの音楽に合わせ、燕尾服姿の山中教授は笑顔で登場。会場では、家族や友人、日本を含む各国の代表、過去の受賞者ら約1600人の出席者が見守った。   
 日本人の受賞は2010年以来、2年振り19人目となる。医学生理学賞では25年振り2人目。山中氏は授賞式に先立ち、「マラソンに例えると、今日は折り返し地点。臨床応用というゴールに向かって、これまで以上に頑張らないといけない」と語った。    

   x    x    x    

 ーノーベル賞授賞式の生中継を生まれて初めて、「ニコニコ動画」で見る。正装した各国の受賞者、国王と女  王、王女、着飾ったドレスの女性たちが出席し、まるで外国映画のようだ。壇上では、ファンファンーレと共に
 スウェーデン国王が、直々に各受賞者にメダルを授与する。山中教授は、母の美奈子さん、妻の知佳さん、二人
 の娘さんと授賞式に参加した。   
  12/9付記事の後日談を。それからある週末の夕方、美人の奥さんとかのアメリカ人研究者、その前年、青い
 目のガールフレンドを連れて帰国した友人のMと、何年か振りで再会した。するとMと彼は、すでに知り合いの
 仲だった。奥さんが私に言った。   
  「あの晩、帰宅した夫は日本酒に酔ったせいで、次の日研究ができなかったわ」  
  その後、彼がノーベル賞を取ったかどうか定かではないが、大学の友人のMは同大を卒業、さらにスタンフォ ード大でMBAを取得。晴れて婚約者のクリスさんと結婚し、現在ニューヨークでコンサルタントの仕事を開業し ている。   
  そして私は、わが京都から世界へと発信すべく、稲盛和夫氏の稲盛財団に負けるとも劣らぬ大きな夢がある  (笑)   
  写真カットは、12月11日深夜、AP通信+ニコニコ動画による授賞式生中継のワンシーンより。















山中教授、ノーベル賞記念講演

「時事テーマ」:2012/12/9 ”海外ニュース”   
ーiPS細胞(人工多能性幹細胞)を開発し、本年度のノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥・京都大学教授が
7日午後(日本時間同日夜)、ストックホルム市のカロリンスカ医科大で記念講演した。若い頃の挫折やiPS細胞
誕生までの軌跡を時にジョークも交えて語り、満員の会場を湧かせた。   
 講演では、手術が下手で整形外科医をやめ、研究者に転向した下積み時代の思い出を披露。仮設に反する実験結果が出ると喜びを感じ、それが研究を続ける糧になったという。当時の指導教官らの励ましも大きかったと言い、
「私も彼らのようになりたいが難しい。予想もしないことを教えてくれ、新たな課題へと導いてくれる自然そのも
のも師だ」などと話した。   
 演壇から降りた山中教授は日本の報道陣に向かって、「英語が大阪弁のようなアクセントになってしまい60点
の出来」と笑わせて語った。    

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 ー米国留学から帰国した1982年春、一時京大の近くに下宿していた。仕事を終え、夕食がてら百万辺のある
 店に入った。カウンターに座っていた若い外国人と意気投合。日本酒を飲みながら、英語で語り合った。よく聞 けば、京大大学院で物理学を専攻するアメリカ人研究者とのことだった。彼は、ホロ酔いになると宣言した。 
  「私ハ、ノーベル賞ヲ獲ルゾー!」と二人で乾杯。   
  後日再会すると、青い目のガール・フレンドと共にその前年、米大学留学から帰国した友人のMと彼は共通の
 友人であったことに驚かされた。   
  因みに、日本人のノーベル賞受賞者19人中、京都大学出身者は、山中伸弥教授を含め6人と最多。えっ、何
 ?私、同大出身です(笑)

  
  




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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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