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熊本頑張れ!くまモン、頑張れ~!


2016/7/5  ”2016熊本取材行”  
ーいよいよ熊本取材行第5弾、最終回となりました。熊本取材3日目の朝、熊本市内の宿を出る。歩いて数分、予め調べておいた宮本武蔵旧居跡に向かう。   
 ここ、熊本城に隣接する旧千葉城跡の一角に、宮本武蔵(1584年~1645年)は晩年の寛永17年(1640)、肥後藩主細川忠利に招かれ、屋敷を与えられ熊本で過ごした。坪井川沿いに説明板と「剣聖 宮本武蔵旧居跡」の石碑が立つ。暫し剣豪 宮本武蔵の最晩年の姿に思いを馳せる。因みに、武蔵も私も同じ岡山県の出身じゃけんのう~(笑)  
 続いてNHK熊本放送局の前を通り抜け、熊本大神宮へ。熊本城の内の石垣に接するこの神社は地震のため城内の石垣が崩れ落ち、そのため神社の建物が崩壊、立ち入り禁止の境内には無残な建物の残骸と崩落した屋根が晒されている。賽銭箱に賽銭を入れ、デジカメと動画でそのシーンを撮る。   
 暫く付近の高橋公園を散策した後、市内中心部の下通り商店街へ。初日も利用した地元のインターネット・カフェに入店する。昨夜は夜と早朝に熊本市内で二度地震と余震があり、また深夜、未明に雷鳴、雷、集中豪雨が続き、ほとんど眠れなかった。インターネット・カフェの個室の椅子で暫し仮眠を取る。  
 午後2時過ぎ、退店すると、外は雨が降っていた。携帯用折りたたみ傘を差し、熊本市役所へと向かう。最後にもう一度14階に上がり、熊本城を見ておくことにする。エレベーターで14階のフロアーに着くと、日曜日にもかかわらず被災者向けの仮設住宅説明会が開催中だった。休日返上で市の職員2人が入口前に待機する。   
 熊本城が展望できるその14階のフロアーの通路には、熊本城の歴史と熊本城の地震被害史がパネルと写真と詳細な記録で展示してある。今回、熊本城の地震被害は400年に一度の災害かと思っていたが、実際には江戸時代に大きな地震被害が3回、明治時代以降も震度6.3の直下型地震の被害を受けている。やはりインターネット情報だけでなく、現場に来ないと分からない事実、現実もあるということを忘れてはならないと肝に銘じる。  
 最後に、14階の展示コーナーのガラス・ケースの上にわがDバッグを置き、遠方に熊本城の天守閣を配した構図で熊本取材行のラスト・カットを試みる。  
 熊本頑張れ!くまモン、頑張れ~!応援してるぞ~!来年もまた来るからな~!   

 かくして3日間の熊本取材を終え、6月19日午後9時過ぎ、熊本駅から京都行きの夜行バスに乗り、熊本を発つ。  

ー写真カットは、わがDバッグとくまモンバッジ、遠方に熊本城天守閣のラスト・カット。熊本市役所14階にて6月19日午後撮影。 


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二階堂 新、益城町を歩く!


2016/7/2  ”2016熊本取材行”  
ー熊本取材2日目の6月18日、今回の取材の一番の目的であった益城町へと向かう。インターネットを駆使してやっと確保した熊本市内の宿を出て、まず熊本駅へ。駅前から一部運行している私鉄バスに乗り、益城町の古閑入口で降りる。そこから一時間毎に運行している無料シャトルバスに乗り込み、木山上町へ。道路沿いには、死者20人と最も多くの犠牲者と地震被害を受けた益城町の全壊した家屋が続く。シャトルバスの窓越しにコンパクト・デジカメでそのシーンを撮り続ける。  
 10分程で木山上町のバス停に到着。12人乗りのシャトルバスを降り、ここから歩いて益城町総合運動公園へ行く。その一車線の道路沿いの両側には、まるで空襲でも受けたかのような全壊、半壊した木造家屋の瓦礫が延々と続いている。ふと全壊した民家の手前で足を止める。瓦礫と化した家屋のその一隅には花と縫いぐるみが備えられていた。合掌  
 歩くにつれ、二度も震度7の激震に襲われた益城町の惨状が眼前に広がる。足元の舗道のアスファルトは、今も不気味に罅割れ、寺迫交差点の周囲の民家では特に被害情況が著しい。用水路沿いに盛り土した一帯に建てられた住宅は、脆くも家ごと崩壊していた。    
 やがて益城町総合運動公園が見えて来る。小さな橋があり、その下を秋津川が流れる。川底は低く、川幅はせいぜい1、2メートルか。私が見た限り、仮にこの小川とも言うべき秋津川が増水・氾濫したとしても、周囲一帯に水害の被害を及ぼすとは考え難い。正午前、やっと総合運動公園の入口に到着する。入口付近には白いテントが立ち、学生ボランティアらによる炊き出しが行われていた。老若男女の避難者の方がその前で列を作る。  
 早速、靴を脱いで総合受付案内へ。旧テント村があった同公園陸上競技場へ行きたいと申し出ると、このまま建物内を直進すればよいとのこと。再びスニーカーを手に持ち、学生、ボランティア、避難者の男女、子供たちの間を摺り抜け、グラウンドへ向かう。正午過ぎ、終に陸上競技場グラウンドへ到着。またスニーカーを履き、実際にグラウンドへ降りてみる。5月末で撤去され廃村になった旧益城町テント村の跡地には何もなく、誰もいない。400メーター・トラックのグラウンドを自らの足で歩いてみる。  
 初夏の正午過ぎ、グラウンド中には心地好い微風が吹いており、青空に白い雲が漂う。しかし足元を見ると、トラックの白いレーンを横切り、細い罅割れが所々に走る。グラウンドのトラックを一周歩いて回り、また元の場所へ。ここまで来た記念に持参したiPadで動画を撮る。撮影後、鮮明動画をチェックしていると、遠方にあるグラウンド内の白いポールに掲げられた鯉幟が風に棚引き、元気に泳ぐ姿が確認出来た。かつてテント村で暮した子供たちへの野口健村長の何らかのメッセージなのか。  
 その後、また靴を脱いで、建物内を通り抜ける。ただし建物内は写真撮影禁止。途中、避難者向けに「エコノミークラス症候群」の検査を行うコーナーがある。検査中のボランティアの検査員の方に話を伺う。地震発生直後から避難者、特に高齢者、車中泊の避難者に「エコノミークラス症候群」の症状が現れ、死者も出た。そのため医師と医療チームによるボランティア活動を展開。血液中のある成分を調べることで、事前に予防することが可能とのこと。  
 この際、折角の機会なので、避難者の方々の簡易宿泊所を兼ねる同体育館内部をそっと見学させて頂くことに。土曜日の午後、ボランティアの学生たち、医師、他府県から応援で派遣された各職員が立ち働く通路を通り抜け、体育館入口へ。入口のドアを静かに押して中に入る。館内は白いカーテンで仕切られ、番号順に整然と一定のスペースが確保されている。冷房が完備され、入口前には真新しい青畳が積み上げられている。Dバッグからメモ帳を取り出し、取材開始。  
 「健康のため食事は腹八分目に」の張り紙が目に留まる。すでに仮設住宅の入居が決まったのか、ある一角では白いカーテンが揚げてあり、無人のスペースも。一方、一人暮しの老人が浴衣姿でラジカセの音量を小さく絞り音楽を聴きながら、仮眠するその姿がカーテン越しに垣間見える。またどこかで赤ん坊が泣く声が微かに聞こえる。入口の前では、パイプ椅子に腰掛け、初老の女性、中年女性ら3、4人が地元の熊本弁で逆境にも負けず明るい声で談笑中。  
 体育館の入口を出て、ふたたび通路へ。そこでは、ボランティアのスタッフ、学生たち、背中にゼッケンアを付けた他府県の職員が各所でボランティア活動中だった。また本日は土曜日で学校が休みのせいか、小学生の子供たちの明るい笑い声が通路や階段から響いて来る。  
 最後に、総合案内受付で取材の件で交渉するが、現在多忙でもあり担当者も不在のためやんわりと断わられる。かくして午後2時40分頃、地震発生から2ヶ月余りを経過した旧テント村があった益城町総合運動公園を辞す。  
 以下、熊本取材行シリーズ第5弾へ続く。   

<追記>   
 私が熊本取材中の6月18日夜と19日早朝、熊本市内で2度地震と余震があった。また帰京後の23日以降も大雨と集中豪雨による土砂災害が熊本県下で発生した。地震発生から2ヶ月以上が経過した現在も、熊本では地震、余震、自然災害との戦いが続いている。   

ー写真カットは、1階部分が崩れ落ちた家と全壊した民家、屋根の瓦が崩落した家々。益城町木山上町にて6月18日午後撮影。

地震発生2ヶ月後の熊本復興を問う


2016/6/27  ”2016熊本取材行”  
ー続いて、先程午前中、下見をしておいた熊本市役所へ再び向かう。4階の広報課を尋ね、事前に取材予約をしていた市役所担当者の方に熊本地震と地震発生から2ヶ月経った熊本の復興についてお話を伺う。担当は、復興総務課の原口さん。時間は30分以内。取材の際、発言に正確を期すため、ソニーICレコーダーの使用許可を頂く。以下、一問一答形式でインタビューの要約を記す。  

ー二階堂、以下、Qと略す:本日は、ご多忙の中、ありごとうございます。4月14日夜の地震発生以降、現在の熊本地震の被害と復興について、特に熊本市内の状況についてお聞きします。  
ー原口さん、以下、Aと略す:地震発生時、九州新幹線が運休、九州自動車道も不通となった。また国道、その他の幹線道路も各所で通行止めになった。そのため地震直後、物流が途絶え流通に時間がかかった。   
 その後、2ヶ月が経過し、九州新幹線、幹線道路、熊本空港、インフラが復旧。市民生活も通常に戻った。ただ熊本城の被害は甚だしいが、市内中心部ではほぼ正常に復興した。しかし東区は最も被害が多かった益城町とも隣接しており、まだ復興途上にある。また熊本市内は広いため、特に市内南東側では地域によってまだ被害が残っている状態。  
 さらに熊本市内でも、地震による液状化現象の被害が数ヶ所ある。現在、都市整備局が調査中だが、3000件から5000件の被害が報告されている。現時点でも、地震発生以降、余震は1700回を超えている。以上、現在の被害状況。また熊本市として国に提出する地震被害額の算定を急いでいるが、被害が多岐にわたり被害総額の算定がまだ追い付かない情況にある。  
ーQ:現時点での熊本市内の避難者と避難所について。  
ーA:6月13日現在、熊本市内で避難所は47ヶ所、避難者数は1531名。現在、避難者も徐々に減っており、昼間と夜間では異なる。昼間は会社に仕事へ行き、夜は避難所に帰られる方もいる。自宅が一部損壊し、止むを得ず避難所生活を続ける方、また車中泊をする方もいる。  
ー車中泊をされる方について。  
ーA:1531人に車中泊の方は、含んでいません。各区役所で車中泊の実態を追跡調査していますが、昼間と夜間、場所によって流動的なため、具体的な把握が出来ていない情況です。大体、二桁から三桁台と予想される。 
ーQ:仮設住宅建設の進み具合について。   
ーA:現在、着工予定中の仮設住宅が458戸。最も早い住宅は来週に完成。残りは6月、7月中に完成予定。その他にも市営住宅と民間賃貸も含め、仮設住宅への入居を聞き取り調査中です。市としては、避難者の皆さんのご要望をお聞きした上で、不足分の仮設住宅の建設を検討している段階です。ただ今、仮設住宅、市営住宅、見なし住宅の3本立てで建設計画を進めているところです。
ーQ:熊本城の被害と今後の復興について。  
ーA:最初に申し上げると、熊本城の所有は熊本県ですが、管理は熊本市に委託されています。今回、熊本城は石垣、櫓、城内の神社など数十ヶ所が地震で被害を受けました。現在の試算では、石垣の被害が354億円、熊本城公園としての被害が210億円。しかしこれには、天守閣を含めた重要文化財の復興費は入っていない。  
 これについては今後、文化庁とも協議しながら復興に向かう予定です。熊本城の本格的復興には今後、10年、20年を費やすとされています。  
ーQ:最後に、熊本市役所として今後の熊本の復興と展望についてお聞きしたいと思います。  
ーA:震災後の5月6日、熊本市役所として復興部を立ち上げた。総勢40名体制で、復興総務課、生活再建支援課、住宅再建支援課の3つの課がある。地震後、74万熊本市民が力を合わせて復興に向けた計画と方針を定め、それに基づき、各地域毎・各団体毎に座談会を設けている。例えば観光分野、経済団体、インフラ・住宅関係毎に座談会を開き、ご意見をお聞きしている。  
 また7月以降、学識経験者による復興検討委員会を設ける予定です。それらを総合した上で、秋口を目処に熊本市として震災復興計画を策定します。さらに避難者の方々、熊本市民の皆さんのご意見、各方面の先生方のご意見も聞きながら、今後の復興計画を作成する運びになっています。  
 この計画の中でも、特に熊本城の復興に関しましては、熊本市民、熊本県民のシンボルとしてだけではなく、日本文化を代表する名城として位置付け、日本中、世界中から観光客が訪れる熊本の貴重な観光資源でもあります。現在、早急な復興はまだ無理ですが、今復興途中にある熊本城も日本中の皆さんに見て頂き、それによって熊本復興の一助にして頂きたいと思います。  
 また熊本復興において、地震以前の状態に戻すことに留まらず、未曾有の地震後の熊本の町作り、新しい熊本を創っていく市民の姿、熊本復興計画を全国の皆さんに是非見て頂きたいと考えます。復興計画策定に関しては、地震発生直後から、東日本大震災の被害を受けた仙台市の協力とその地震復興のノウハウを参考に致しました。  
ーQ:本日はありがとうございました。  

 かくして、インタビューが終了。午後5時過ぎ、最後に広報課の一野さんと復興総務課の原口さんに挨拶し、熊本地震復興の最前線基地、熊本市役所を辞す。   
 以下、熊本取材行シリーズ第4弾へ続く。   

ー写真カットは、モダンなデザインの市電と「熊本城・市役所前」駅の標識と熊本市役所の入口。6月17日午前撮影。  

  
 
  

目指せ!日本一のボランティアセンター!


2016/6/25  ”2016熊本取材行”  
ー下通り商店街にあるインターネット・カフェを出て、表通りでタクシーに乗り込むと、熊本県総合福祉センターへ向かう。同センター2階にある熊本県災害ボランティアセンターを尋ね、事務局長の桂さんにお話を伺う。2階事務局隣室のミーティング・ルームで小一時間程、ボランティア活動と熊本地震の復興についてお聞きする。以下、その抜粋と要約を記す。  

 現在、熊本地震の発生から2ヶ月が経過し、熊本県下の避難者は約6200人、熊本市内では1600人から1700人。地震発生直後と比べて復興もある程度進み、ボランティア活動も落ち着いて来ており、現在は避難者の生活支援に力点が置かれる。 
 県内の災害ボランティアセンターは市町村毎に17ヶ所あり、それぞれの市町村の各センターがボランティア活動を募集・統括している。死者20人と最も多くの被害を出した益城町では、通常の職員数で九州各地、日本全国からのボランティアの問い合わせに応対しているとのこと。私も取材前、そして熊本到着後も何度か益城町災害ボランティアセンターに電話を掛けたが、いつも通話中で電話が通じなかった。  
 熊本県内、熊本市内でボランティア活動を希望される方は、ツイッターやインターネットで各市町村のボランティアセンターのHP,連絡先を調べた上で、直接応募・交渉されることをお勧めします。また災害ボランティア活動では、宿泊・食事・交通費はすべて自己負担となり、十分な調査と計画と覚悟、自己責任が問われることになります。  
 「災害ボランティアセンター」の活動としては、まず被災者からの依頼を受け、次にボランティア要員を募集し、オリエンテーションを行う。そしてボランティア活動毎にマッチング、ボランティア希望者が自ら参加したい活動に手を挙げることを奨励している。この4月で61歳となり、体力には自信がない(笑)中年フリーライター、恐る恐る「私でも出来るボランティア活動はありますか?」と桂事務局長に尋ねると、「ガテン系の瓦礫撤去の他にも、仕分け・軽作業の仕事もあります」と優しいご返答。  

 日本一のボランティアセンターを目指す熊本県災害ボランティアセンターのこの歴史は、16年前に遡る。2000年4月、副知事であった潮谷義子氏が熊本県知事選に出馬し、初当選。同じく2000年に大阪府知事に当選した太田房江知事に続く、日本で2人目の女性知事として当時脚光を浴びた。日本福音ルーテル教会会員のキリスト者でもある潮谷義子知事は以後、2期8年熊本県知事を務め、社会福祉事業を推進した。  
 現在、避難者向けの仮設住宅の建設も急ピッチで進んでおり、用地の確保・住宅の建設に約1ヶ月程時間が掛かる。その後、各市町村が入居者を募集、ここで災害ボランティアセンターが介入し、生活支援策として入居者を手助けする。   
 最後に、熊本県災害ボランティアセンターの要望としては、九州各地、日本全国のボランティアの皆さんに今後とも息の長い復興と支援にご協力・ご尽力して頂きたい。また熊本復興に向け、熊本城の修復、観光事業の復旧、熊本の特産品の販売、そして隣りの大分県の観光地、湯布院の復興も合わせて、これからも全国の皆さんの協力と支援をお願いしますと、桂事務局長は締め括られた。途中、5月5日のこどもの日から活動を再開したくまモンの話題にもなったが、長くなるので割愛(笑)  
 小一時間の取材を終え、最後の挨拶を済ませ、ミーティング・ルームの席を立ち隣室へ。するとその壁には、「ボランティア活動日本一をめざして」の横断幕が!?桂さんに許可を頂き、コンパクト・デジカメで写真を撮らせて頂く。  
 かくして地震発生から2ヶ月、その余韻と熱気が残る日本一のボランティアセンターを目指す熊本県災害ボランティアセンターを午後2時半頃、辞す。  
 以下、熊本取材行シリーズ第3弾へ続く。  

ー写真カットは、熊本県災害ボランティアセンター事務局の壁に掲げられた横断幕。6月17日午後撮影。   

益城町運動公園に残る地震の爪痕


2016/6/23  ”2016熊本取材行”  

ー同運動公園体育館の外へ出て、改めて発見!?先程正午頃、ボランティアの学生たちが炊き出しを行っていたテントの下のアスファルトは地震の影響で至る所が罅割れ、表面が波打っていた。6月18日午後撮影。
プロフィール

二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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