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坂本龍馬参墓


2019/3/17  ”京の幕末史を歩く”   
ー早春の3月13日、東山霊山の京都霊山護国神社にある坂本龍馬の墓に参墓する。愛車のマウンテンバイクで東山の霊山神社へ。神社前の急勾配の坂が登れない。マウンテンバイクを降りて、息を切らせながら、坂道を押して歩く。午前10時半過ぎ、到着。300円の入山料を払い、自動受付の拝観口カウンターを通る。平日の午前、まだ肌寒い境内にはほとんど参拝者もいない。 
 山腹の石段を歩いて数分、坂本龍馬の墓を真っ直ぐに目指す。そこは京の観光名所にもなっており、周囲は綺麗に掃き清められ、墓前は展望台になっており、そこから京都市街が一望できる。石畳にコンクリート製の鳥居が立ち、その奥に三つの墓が並んでいる。左から小間使い兼用心棒だった藤吉、中央が坂本龍馬、そして右側に盟友の中岡慎太郎。  
 慶応3年(1867年)11月15日夜、河原町蛸薬師の醤油商近江屋新助宅母屋の二階にいた龍馬は、戸津川郷士を名乗る京都見廻組の数名の男たちの来訪を受ける。男たちは取次の藤吉を背後から斬り付け、二階に駆け上がると、龍馬と中岡のいる部屋に乱入。その時帯刀せず、当日風邪をひき体調を崩し近視だった龍馬の額を隊士の一人、桂早之助がいきなり一刀両断。龍馬はほぼ即死に近い状態で殺害された。同席していた中岡慎太郎も斬られ、二日後に死去。龍馬が暗殺されたのは奇しくも誕生日の日だった。幕末の風雲児坂本龍馬、享年33。合掌  
 Dバッグから小型三脚と先月買ったばかりのNikonのデジカメを取り出し、肉声のナレーション付きで動画撮影を試みる。音声と映像のタイミングが上手くいかず、何度か繰り返す。テイク4でやっと満足のいく仕上がりに。撮影終了後、霊山神社境内の山腹をしばらく歩く。ここ京都霊山護国神社には新しい時代の到来を夢見て、その志に斃れた幕末の志士たち1356名の御霊が祀られている。  
 禁門の変で戦死した長州藩の英才たち、池田屋事件で新撰組に討たれた志士たち、尊王攘夷運動に奔走した草莽の志士たちの名前が延々と並ぶ墓石に刻まれている。山頂には明治維新の功労者、桂小五郎(後の木戸孝允)の墓と妻の幾松の墓が並んで立つ。   
 正午頃になると、神社境内には龍馬ファンのアマチュアカメラマン、高校生のグループ、中年の夫婦がその墓前を訪れる姿が。私は大学在籍当時から、龍馬ファンを公言するタレントの武田鉄矢と司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の影響もあり、数年毎に霊山神社の坂本龍馬の墓を訪れている。今回の参墓は数年振りか。久し振りに東山霊山の清々しい空気と霊気を感じ取り、午後一時過ぎ、晴れ晴れとした気分で京都霊山護国神社を辞す。   

ー写真カットは、霊山護国神社にある坂本龍馬の墓。鳥居奥の左側が坂本龍馬、右側が盟友の中岡慎太郎。合掌  
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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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