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汝、悠々として急げ  (補足)

「開高健記念館」       

 2003年4月、オープン。1974年、東京杉並からこの地に移り住み、なくなる1989年まで作家が住み
続けた邸宅を、開高健記念館として開設したものである。その後、作家の親族も亡くなり、現在は、茅ヶ崎市が
記念館を管理し、運営については、開高健記念会が、茅ヶ崎市から受託している。     
 
 ー所在地:神奈川県茅ヶ崎市東海岸南6-6-64      

 ー電話番号:(0467)87-0567      

 -開館日:毎週、金・土・日曜日と祝祭日。年末年始(12/29から1/3)は休館    

 ー開館時間:4月から10月 午前10:00ー午後6:00     
       11月から3月 午前10:00ー午後5:00     

 ー入館料:無料。駐車場あり、8台駐車可能             

 ーアクセス:JR茅ヶ崎駅南口より約2キロ。茅ヶ崎駅よりバスあり。辻堂駅南口行き 辻02系 辻03系に
       て、「東海岸北5丁目」バス停下車、約600メーター 
 _________
           
「開高健、代表作一覧」(年代順)             
 ー「パニック」(1957)  
  「裸の王様」(1957)   
  「流亡記」(1959)    
  「日本三文オペラ」(1959、新潮文庫)    
  「輝ける闇」(1968、新潮文庫)   
  「夏の闇」(1972、新潮文庫)   
  「ロマネ・コンテイ・1935年」(1978)     
  「耳の物語 1・2」(1986、新潮文庫)   
  「花終わる闇」(1990、新潮文庫)       
「エッセイ、ノン・フィクション」     
 ー「ベトナム戦記」(1965、朝日新聞社)  
  「オーパ!」(1978、集英社)    
「対話集」   
 ー「悠々として急げ 対話集」(1977、角川文庫)     
「共著」    
 -「世界カタコト辞典」(小田実、1979、文春文庫)     
「著作集」    
 -「開高健全集 全22巻」(1991-93 新潮社)             

                            ー(以上)

        

 
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汝、悠々として急げ  (結び)

 それでは、「開高 健」シリーズ、わが渾身の最終回を始めます。まず、最後になってしまいましたが〔笑)、「汝、悠々として急げ」のご説明から。    
 これは、特に晩年、開高 健がよく取り上げた言葉、”festina lante ”から、私が引用したものです。そも
そもは、ラテン語で、「悠々として、急ぎなさい」という意味だそうです。本来は、国王たる者の戒めを説いた、
語句であるとか。     
 私も、中年以降になって、やっとこの言葉の深い意味が、分かるようになりました。もっとも、私は、さらに、
「汝、悠々として生き急げ」と、理解しているのですが(笑)          

 ジョークはこれ位で、以下、芥川賞受賞後の経歴について記します。     
 「開高 健、戦場の”天啓”」       

 1964年、朝日新聞社特派員になり、ベトナムで従軍記者として活動する。南ベトナム政府軍に従軍し、最前
戦に出た時だった。ベトコンの奇襲攻撃に遇うも、九死に一生を得、生還する。200名中、生き残ったのは17
名のみ。後年、開高 健自らが語ったように、この壮烈な戦場での体験後、その文体が変わった。後に、代表作で
ある、「輝ける闇」「夏の闇」「花終わる闇(未完)」の3部作として結実する。    
 帰国後、当時の反戦運動にも参加するが、後に、作家として、距離を保つようになる。晩年は、釣師としても
よく知られ、世界中を釣行して歩いた。また、名エッセイも数多く残した。特に、食、酒、旅、そして釣行をテーマに、珠玉のような言葉が散りばめられている。     
 1989年、食道ガンの手術の後、肺炎を併発し、死去。享年58。合掌。        

 ー本日のメッセージ:「今ここに、再びわが大いなる円循環がつながる。今、つながった。私は書く。私は、
  開高 健の遺志を継ぐ。わが小説とノン・フィクション作品を書く。書き続ける」         

 ー皆さん、私、二階堂 新は、469人の読者の方々のご期待に添うためにも、書きます。書き続けます。 
  現在、2011「アメリカ・アメリカ」シリーズを、書きすすめているところです。そして、わが志のノン・
 フィクション作家として、ペンとカメラで、FC2小説のノン・フィクションに今後、作品を発表します。 
  皆さん、4日間、このシリーズにお付き合い頂き、誠にありがとうございました。それでは、私は、また
 FC2小説にもどります。   
  明日からは、いつものように、魔仁我王Zが、登場致します(笑)それでは、皆さん、ごきげんよう。  
  最後に、開高 健記念館の案内と代表作の一覧リストをアップします。
 
 

汝、悠々として急げ  (12)


              
 12)「開高 健、戦場での”天啓”ーベトコンの奇襲を受けるも、九死に一生を得、茫然と木を背にして、
    たたずむの図」(1964年、朝日新聞社カメラマン、秋元啓一氏撮影)          

   以下、説明は、次の「結び」にて。            


 ________           
       
 
 ーデータ(全12点とも):Fine Pix S 5000

汝、悠々として急げ  (11)


 11)「小説家の机」           

  作家、開高 健が執筆した机。実は、机の下は、掘り炬燵式になっており、自由に足が伸ばせる作りになって
 います。    
  開高 健は、晩年、「バック・ペイン」”背中の痛み”に悩まされた。その治療も兼ねて、水泳教室にも通っ
 たという。しかし、わが開高先生、この座イスで書く姿勢では、まるでダルマ状態ですよ(笑)この部屋にこも
 って、この態勢で書き続ければ、バック・ペインにもなるというものです、開高先生〔笑)   
  さらに、もうひとつ。実は、開高先生、その執筆スタイルは、完全な夜型。夕方頃からエンジンがかかり、夜
 通し、明け方まで、そのイノチを削るかのごとく、小説の執筆に集中した。この机の向こう側に、ベッドが敷か
 れていたという。        

 ーさて皆さん、ここで申し訳ありませんが、本題の「開高 健の作家論」と私の志、作家としての決意について
 は、明日、またアップします。請う、ご期待。それでは、また明日。

汝、悠々として急げ  (10)


             
 10)「小説家と編集者が談話したベンチ」     

  開高邸の庭にある、白い鉄製のイスとテーブル。ここで開高先生、東京から来た編集者たちと、よく打ち合わ
 せをされた。因みに、その時、開高先生のお好きな紅茶とお菓子が出されたとか。    

  ところで、私、二階堂 新は、コーヒーがお好き。今も、コーヒーを飲みながら、このブログ記事を書いてい
 ます〔笑) 
  
プロフィール

二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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