踊れない国 ニッポン (2)


「時事テーマ」:2013/3/30 ”ダンス・ダンス・ダンス論”   
ー2004年春、私は東京取材を決行した。数年前から情報を集め、「ルーシーブラックマン事件」を追い、自からの足で六本木界隈を歩いた。   
 英国人女性、ルーシー・ブラックマンさんが勤めていたのが、六本木の外国人クラブだった。外人モデル、ダンサー、日本人ビジネスマンがよく通っていたという。2004年6月のある夜、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と、私は六本木Gメンズ・クラブ「クライマックス」へ突撃した。「えっ、何それ?」って。当時、六本木名物だった外人ダンサーが踊る紳士のためのクラブさ(笑)   
 店内に入ると、週末の夜の10時半頃なのに、客の姿は疎ら。ウィスキーの水割りを飲りながら、外国人ダンサー、日本人ダンサーによるポールダンスを鑑賞。お気に入りのダンサーがいれば、別料金を払って彼女と個室へ(笑)   
 私のテーブルに付いたのは、ルーマニア出身の小柄なダンサー。日本語は喋れず、カタコトの英語で話す。彼女
のテーマ曲が流れると、ステージに上がり、ポールダンスを客席の男たちに魅せる。  
 店内を見渡すと、流石六本木、外人ダンサーがダントツに多い。金髪でグラマーな大柄のダンサーの踊りっぷりが、良かったと記憶する。結局、一時間程で切り上げ、退店した。翌日の昼間、森タワー、六本木ヒルズを歩き、
所轄の麻布署にも赴いた。また夜になると、「ハードロック・カフェ」を初め、六本木の飲食店をネタ捜しに歩き
回った。   
 東京取材最終日のその夜、六本木「アマンド」を出て、東方向へ数百メートル。その時は気付かなかったが(後
で調べ確信した)、夜の六本木ストリートの路上に立つ、ソフトスーツ姿の伊藤リオンとニアミスした。バッグからデジカメを取り出し周辺を撮影する私を、数メートル先から睨み付ける。その視線は、半端でなく殺気走っていた。   
 その後、2006年にも春と秋の2回、東京取材を続けた。2004年の「プチ・バブル」ははじけ、「ニッポン・バブル」期の白人ビジネスマンの置き土産、Gメンズクラブも下火になり、経済は冷え込み、外国人ビジネスマンも外人ダンサーも去った。代わってやって来たのは、「ドラッグ」と「不良外人」と言われるアフリカ系の黒人たちだった。  
 1990年代の「デイスコ文化」の終焉に続き、六本木のクラブ文化は、今や危機に瀕していた・・  

ーこのシリーズ続く。 
ー写真カットは、六本木交差点「アマンド」の夜景全景。2004年6月28日撮影。


   
 



   
 






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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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