東日本大震災から3年

2014/3/12  ”本日の出来事”   
ー2011年3月11日午後2時46分、仙台市沖の海底を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う大津波と余震が発生した。特に被害が集中した福島・宮城・岩手の東北3県を始め、全国で死者1万5884人、行方不明者2633人に達する史上最大最悪の地震災害となった。また地震発生直後、津波に襲われた福島第一原子力発電所の原子炉が炉心溶融(メルトダウン)を起こし、放射性物質の漏洩を伴う重大な原発事故を招いた。   
 3年後の現在、26万7千人が今なお避難生活を強いられ、10万4千世帯がプレハブの仮設住宅に暮らす。1995年に起きた阪神大震災と比べて、震災からの復興と暮らしの再建の遅れが目立つ。  
 東日本大震災から3年目の11日、3周年追悼式が東京都千代田区の国立劇場で執り行われた。天皇・皇后両陛下、安倍首相、犠牲者遺族ら1200人が参列した。追悼式では、「長きにわたって国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と天皇陛下のお言葉があった。   

 2011年3月11日当日、私は京都市内の病院にいた。翌日に手術を控え、各検査と手術の説明を受けていた。夕方、気分転換に1階のロビーに降り、テレビのその映像ニュースを見て愕然とした。  
 「本日午後、東北地方を中心に大きな地震と津波があり、その被害は夕方以降も、東北地方沿岸に拡大しています」とNHKの臨時ニュースが伝える。大津波が家を町を飲み込み、車、木造家屋、漁船が津波に流される。石油コンビナートの石油タンクが爆発・炎上する。夜空に紅蓮の炎が立ち昇る。まるでパニック映画を見ているかのようだったが、これは紛れもなく2011年3月11日の今、日本の東北に起きた現実であった。  
 その夜は、病室で早目に就寝した。翌日の午前9時、私は生涯で始めて、持病の手術のため名医、U医師の執刀を受けた。その後、24時間、個室で美人で若い看護婦による集中看護。麻酔のため身動き出来ないベッドの上で、私は天井と窓から見える青い空を一日中眺めていた。看護婦が部屋から出て行くと、手を伸ばして持参した携帯ラジオのスイッチを入れ、速報ニュースに耳を傾けた。   
 翌日、相部屋に移され、身体が動くようになると1階の売店に行き、新聞各紙を買い漁った。新聞とラジオのニュースを聞くにつれ、私はいても立ってもいられなくなった。一日も早く退院し、被災地の現場へ取材に行きたいと強く思った。しかし主治医のU先生に、手術後体が完治するまで3ヶ月は取材を控えるように忠告された。さらに水、電気、医療設備の不十分な現地被災地で、もし万が一のことがあっても責任は持てないと、医者の脅しとも
取れ兼ねないアドバイスまで頂戴した。   
 手術後の傷痕のため毎日風呂にも入れず、尿道に針を射したチューブのビニール袋を24時間中抱え、私はその病院の病室で悶々とした3日間を過ごした。そして手術から3日目の朝、U医師に退院の許可を頂き、私は無事、一週間の病院生活から開放された。   

    *    *    *   

 かくして忘れもしない、2011年3月11日と12日のあの日の記憶。3年後の今、私は体調と態勢と準備を整え、わがペンとカメラを手に、いざ被災地復興ルポの取材へ行かん!   
 6年後の東京五輪よりも、今こそ被災地の復興と人々の心の再生を私は願う。東日本大震災の2633人の行方不明者と1万5884人の死者の霊に黙禱・合掌。




















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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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