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京の水文化の源流、鴨川を歩く (1)


2014/9/15  ”京都シーン行”   
ー秋本番の行楽シーズンに向け、ただ今絶好調の京都散策行シリーズ。本日は、「まいまい京都ツアー」京の水文化をめぐる編参加レポートです。   
 9月14日日曜日、叡山電鉄叡山線「出町柳」駅へ午前10時前、市バスで到着。同駅の改札口でいつものようにスタッフに参加費を払い、ガイド役の鈴木さんに挨拶する。本日のガイドは、鈴木康久さん。農学博士、水文化研究家、京の水をめぐる歴史、伝統、文化を研究する。現在、京都造形芸術大学の非常勤講師。   
 午前10時、参加者16名、ガイド1名、スタッフ2名の総勢19名でいよいよツアー開始!叡電「出町柳」駅を出発し、ツアー参加者一行は、出町三角州の飛び石を渡る。全員が渡り切ると、賀茂川右岸の木陰で早速、ガイド役の鈴木さんの説明が始まる。京都の名水とその由来、鴨川の歴史、平成になって出来た出町三角州の飛び石について、資料と写真を交えながら解説を行う。   
 続いて一行は、出町にある相国寺派の妙音弁財天の境内に入る。ここでも水と鴨川の治水に関する歴史が話題となる。境内には水と学芸の守護神である弁財天を奉るが、本堂にはなぜか龍ではなくヘビの絵(笑)が飾られている。 
 それからコースは河原町今出川に出て、今出川寺町を南下する。その今出川寺町の交差点に東西南北を示す古い石碑が立つ。この寺町通り沿いにかつて大正時代末期頃まで、「今出川」という小川が流れていたことを今回のツアーに参加して、私は初めて知った。   
 次は、京都御所の東に隣接する梨木神社(なしのきじんじゃ)へ。明治天皇の東京行幸の翌年、明治2年(1869年)の東京遷都により天皇は東京へ。それに伴い、京都御所の公家たちも東京へ移り住む。その公家屋敷跡に明治18年(1885年)、梨木神社が創建された。   
 その梨木神社の「染井の水」は京都三名水の一つに数えられ、飲むと美人になるとか(笑)早速、境内の井戸の前の手水
舎で柄杓で名水を飲む参加者に交じって、私も名水に挑戦する。う~ん、やはり名水と呼ばれるだけあって、美味なり!この「染井の水」は軟水で、水の硬度は44度。現在も枯れずに残っている梨木神社の「染井の水」は、誰でも自由に来て名水を味わうことが出来るとのこと。皆さんも一度お試しあれ。  
 そして今度は、紫式部が「源氏物語」を執筆したとして有名な「ろ山寺」へ入る。植木に囲まれた境内の一角、裏側に回り込んで小さな石段の階段を降りて行くと、そこに古井戸がある。現在、水は枯れてしまったが、下に降りながら水を汲む「降り井」と呼ばれる珍しい井戸。   
 ここでも鈴木さんの水をめぐる歴史と解説が続く。かつて鴨川流域のこの一帯は、豊かで恵まれた水源があった。現在はなくなったが、今出川が南北に貫流して流れ、井戸を地下数メートル掘っただけで良質の水が得られた。しかし昭和30年代、阪急電鉄の地下工事でかつての地下水の水脈が断ち切られ、市内中心部の古くからあった井戸の多くが枯れてしまったという。  
 さらに一行は境内の墓地を通り抜け、雑草と木々が生えた小山のような場所へとやって来る。天正時代(1570年代)、
秀吉が造営した京都の周囲、総延長23キロに及んだ御土居(おどい)の一部だった。土の高さは3メートルに及び、頂上部分には竹が植えられたという。現在でも京都のある寺院の境内、洛北の鷹峰に御土居の一部が残っている。  
 やがて一行は寺町通りを南下し、荒神口を東に進む。荒神橋から再び鴨川河畔に下りる。秋晴れの快晴の鴨川、水文化をめぐる鴨川ツアーは、以下後編へと続く!
   
ー写真カットは、出町三角州の飛び石を渡るツアー参加者の一行。9月14日午前撮影。



















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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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