京の水文化の源流、鴨川を歩く (2)


2014/9/17  ”京都シーン行”   
ー鴨川の水をめぐるツアーは後半へ。一行は荒神橋から再び鴨川右岸に降りる。因みに高野川と合流する出町三角州より北を賀茂川、その南を鴨川と呼ぶ。その荒神橋の袂でまた鈴木さんの説明が始まる。  
 現在よく整備された一級河川鴨川からは想像できないが、かつて鴨川は度々氾濫を繰り返した。その度に市中は水に浸かり疫病が蔓延し、洛中の都人と京を治める歴代の権力者にとって、頭痛の種となった。近年では昭和10年(1935年)、鴨川大洪水があり、当時の京都市街の3分の2が水浸しになったといわれる。その後、京都市は鴨川の川底を掘削する河川改修工事を続け、以後鴨川の水位は約2メートル下がった。   
 その鴨川の川岸の芝生と石畳をよく見ると、数十センチ幅のレールのような石の線路が、川の方向に向かって伸びている。これは、かつて牛車で荷物を運んだ際、この上を牛車の車輪が通った跡だという。よく晴れた秋晴れの快晴の鴨川の土手沿いをツアー参加者の男女は、さらに南下する。   
 続いて、丸田町橋の手前の鴨川西岸にある頼山陽書斎跡、「山紫水明処(さんしすいめいしょ)」へと一行はやって来る。江戸時代後期の儒学者、漢詩人の頼山陽(1780~1832年)は晩年、鴨川沿いの二間だけのこの書斎兼茶室で著作
活動に専念した。山陽は銘酒、剣菱を飲みながら、夕方紫に染まる書斎から眺望する鴨川の風景を好んだという。  
 それから丸太町橋の下をくぐり、しばらく歩くと、鴨川に沿って南北に川幅数メートルの小川、みそそぎ川が流れている。みそそぎ川は琵琶湖疎水から引かれており、鴨川沿いを流れ、小さな堰を下り、やがて先斗町通りと平行して南下する。毎年6月に始まる京の風物詩、みそそぎ川に立つ「鴨川納涼湯床」が有名。   
 そして二条橋から、本日ツアーの終点、二条木屋町へ。江戸時代初期、角倉了以・素庵父子によって開削された高瀬川
が、ここ高瀬川一之船入(いちのふないり)から木屋町通りと平行しながら、市内中心部の繁華街を貫いて流れる。水深数
十センチの高瀬川に米俵と酒樽を積んだ実物大の高瀬舟が浮かぶ。かつて伏見の銘酒を積み込んだ高瀬舟が、京都・伏見間を盛んに往来した。   
 ガイド役、鈴木さんの解説もここで終わり、正午過ぎ、本日のツアーは終了、解散する。ガイドの鈴木さん、「まいまい京都」の2名のスタッフ、16名のツアー参加者の皆さん、お疲れさまでした!

     *     *     *   

 三方を山々で囲まれた京都盆地の地下には、琵琶湖に匹敵する水量の地下水脈があるといわれている。その京都盆地を南北に貫いて流れる鴨川、各地、各神社に伝わる京の名水と井戸。良質な水に恵まれた千年の水の都、京都。この水こそが銘酒、茶道、京友禅、豆腐、湯葉、京料理など京都の文化を生み出した源である。そして21世紀、鴨川は今も流れ、京の水文化は脈々と現在も生き続けている。   

<参加ツアー>   
 ☆「まいまい京都ツアー」~[鴨川]水文化研究家とめぐる京の水、鴨川沿いを南へ   
 ☆日時:9月14日(日)午前10:00スタート  
 ☆ガイド:鈴木康久さん   
 ☆参加費:2千円   
 ☆ツアー申し込みと詳細は以下;   
  京都のまち歩きミニツアー「まいまい京都」 http://www.maimai-kyoto.jp    

ー写真カットは、本日ツアーの終点、二条木屋町の高瀬川一之船入に浮かぶ復元された高瀬舟。9月14日正午撮影。
  


















スポンサーサイト

■ Comment

非公開コメント

プロフィール

二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
二階堂 新 賢者は、かく語りき
最新記事
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる