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終戦の日 70周年


2015/8/15  ”時事評論シリーズ ”
ー70回目の終戦記念日を迎えた15日、全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれた。式典には天皇・皇后両陛下、安倍晋三首相ら政府関係者、遺族ら計7千人が参列した。   
 参列者は一斉に、正午に1分間の黙祷を行った。犠牲者の冥福を祈り、改めて不戦の決意を誓った。天皇陛下はお言葉で戦没者を悼みつつ、追悼式で初めて「さきの大戦に対する深い反省」に言及された。  
 安倍首相が式典に参加したのは、今回で3回目。式辞では戦後70年を振り返り、「平和を重んじ、戦争を憎んで、堅く身を持してきた」と述べた。しかし、これまで歴代首相が踏襲してきたアジア諸国に対する加害責任には言及しなかった。また、14日に閣議決定した安倍談話で触れた「反省とおわび」も式辞に盛り込まれなかった。    

       *       *       *

 1945年以降、日本の終戦は急展開する。同年2月、硫黄島が米軍の手に陥ち、4月には沖縄に米軍が上陸。7月26日、トルーマン・チャーチル・スターリン3巨頭によるポツダム会談、8月6日、広島へ原爆投下。8月8日、ソ連が日ソ中立条約を破棄し、満州に侵攻。8月9日、長崎へ2度目の原爆投下。8月10日と14日、2度にわたる御前会議後、昭和天皇によるご聖断をもって、日本政府はポツダム宣言の受諾を決定する。  
 1945年8月15日正午、昭和天皇による玉音放送があり、かくして日本は終戦の日を迎える。3年9ヶ月に及んだ太平洋戦争は、ここに日本の敗戦をもって終わった。その前日の14日、天皇による詔書を朗読してレコード盤に録音し、翌日15日の正午、日本放送協会(現在のNHK)によってラジオ放送で日本国民に向け放送された。「終戦の詔書」の文体は漢文訓読体で、漢学者、川田瑞穂が起草し、陽明学者の安岡正篤が加筆・完成させた。     

 今からでも遅くはない。民主党の岡田代表は今こそ、共産党を含む全野党勢力を結集し、国民と共に「安保法案」反対と阻止に向け国民運動を展開すべきである。「安保法案」なる亡国の悪法を強行採決したアベ・ヒットラー政権とその背後のアメリカ政府に対して、わが国の将来と子々孫々のためにも永遠の不服従の戦いを始めるべきである。  
 奇しくも総選挙で地に墜ち、国民の信頼を失った民主党にそれが出来ないのであれば、この春60歳となった老い先短い(笑)中年フリーライターの小生、最後の一人になろうともわが老骨に鞭打ち、わがペンによる永遠の不服従の戦いを戦い抜く覚悟なり!  

ー写真カットは、靖国神社の遊就館に展示されているゼロ戦の勇姿(2004年11月19日撮影)。8月15日正午、皇居の二重橋で人々が昭和天皇の玉音放送に耳を傾けていた一方、徹底抗戦派の阿南陸軍大将(1887年~1945年)は、ポツダム宣言受諾決定後の15日早朝、官邸内で自ら割腹自殺を遂げた。  
 因みにわが亡父は、太平洋戦争中、旅順攻略戦にも従軍し、6年間中国戦線の激戦の戦場を転戦した。戦後、生還し、戦地から岡山に帰り着くと、連隊の部隊の3分の1の兵士はいなかったという。  
 終戦直後、岡山にもGHQが進駐して来ると、父は山中に6ヶ月程潜んでいたという。関ヶ原の戦いに敗れた石田三成しかり。戦後29年間、フィリピンのルバング島のジャングルで戦い続けた小野田寛郎少尉しかり、あっぱれなり!   
 一大工職人でその生涯を終えたわが亡父ではあったが、これだけは「天晴!」と墓の前で父を褒めてやりたい。213万3915柱の英霊の御霊に黙祷・合掌













  
 








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Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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