真珠湾攻撃から75年


2016/12/13  ”時事評論”   
ー12月8日は、75年前の1941年12月7日(ハワイ時間、日本時間8日未明)、真珠湾攻撃があった日である。山本五十六連合艦隊司令長官による軍事作戦と命令の下、それに先立つ11月26日早朝、日本海軍空母機動隊の空母「赤城」を旗艦とする南雲機動部隊が、エトロフ島のヒトカップ湾をハワイに向け出港した。  
 12月7日朝、ハワイ(当時は米国の準州)のオアフ島真珠湾にある米海軍太平洋艦隊基地を日本海軍の戦闘機数百機が二派に分かれ、次々と攻撃した。この真珠湾攻撃により、米海軍は戦艦「アリゾナ」を含む8隻を撃沈もしくは航行不能とされた。戦死者は、民間人68名を含む2、413名。  
 12月7日のその日、米国は日曜日であった。その朝、ワシントンの駐米日本大使館に出勤した電信課員は膨大な暗号電報を解読し、その覚書が野村吉三郎駐米大使から国務省のハル国務長官に手渡されたのは、真珠湾攻撃の1時間後であった。その結果、野村大使とハル国務長官が和平交渉を続けていたにもかかわらず、外務省と現場の大使館員の手違いもあり、日本側の正式な宣戦布告は米国に正確に伝わらなかった。  
 日本海軍による米国の意表をつく奇襲攻撃とも言える真珠湾攻撃を当時の米国マスコミは一斉に騙し討ちと報じ、「リメンバー・パールハーバー!」と米国民の感情を煽り立てた。ここに、米国民の反日感情は沸騰。開戦に消極的であったフランクリン・ルーズベルト大統領は、この米世論の後押しにより米議会で開戦の承認を得る。翌日8日、米国は日本に宣戦布告した。かくして世界はその後、3年9ヶ月に及ぶ世界大戦へと突入する。   

       *       *       *   

 そして真珠湾攻撃から75年後、12月26日・27日の両日、安倍晋三首相とバラク・オバマ大統領が揃ってオアフ島の真珠湾を訪問し、戦死者に慰霊する。さらに現在、米太平洋軍司令官は、日系人のハリー・ハリス氏である。日米開戦により、米国の日系人は全財産を没収され、砂漠の強制収容所に隔離された。戦後も、日系アメリカ人は壮絶な差別と迫害を受け続けた。  
 真珠湾攻撃から75年後の21世紀、日米は過去の恩讐を乗り越え戦後を清算し、新しい同盟と希望の架け橋の始まりとなるか!?  

ー写真カットは、靖国神社の遊就館に展示してある復元された零戦(零式艦上戦闘機)の勇姿。2004年11月19日撮影。  

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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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