西陣の京町家を歩く


2017/5/10  ”京都シーン行”  
ー大型連休も終わり、行楽には絶好の新緑の季節となりました。本日は、先週末に参加した[まいまい京都ミニツアー]「古武邸当主と京町家を探検しよう!」の体験レポートを以下、お届けします。  

 5月6日(土)午後1時半頃、集合場所の西陣の京都市考古資料館前に愛車のマウンテンバイクで到着する。同館入口前には、既に「まいまい京都」の女性スタッフの方が待機中。参加費の2、500円を払い、挨拶する。その後、続々とツアー参加者が集まり、男女合わせて総勢16名に。参加者一同は午後2時、直ぐ近くにある京町家の古武邸へと歩いて向かう。  
 いかにも京町家の風情を醸す古武邸に到着すると、和室の部屋の座蒲団に座り、参加者全員で古武博司さんによる京都の歴史と西陣の京町家史についてお話を拝聴する。西陣に住み続ける古武氏の豊富な知識と経験、手作りの年表、地図、町家の模型を使いながらの名講義に思わず目から鱗!  
 講義が終わると、古武氏自ら説明しながら、参加者一同で京町家の邸内を見学する。前日はこどもの日だったので、部屋の隅には鎧兜、行燈、和蠟燭などの調度品が飾られる。また邸内には町家独特の坪庭があり、以前は西陣の織屋であった古武邸、来客用の応接室も備わる。京名物、「ぶぶ茶漬け」(笑)の由来と京都人の社交術についての説明もあり。  
 1時間後、古武邸を後にして一行は、西陣界隈の京町家を歩くツアーへ!まず最初に、西陣山名町の一角に立つ「山名宗全邸宅跡」を示す白い案内板の説明から始まる。応仁の乱(応仁元年、1467年)前夜、ここ西軍の本拠地山名宗全邸で密議が開かれた。堀川を境にして東軍と西軍が対峙、以後11年に及ぶ京の内乱へと発展する。  
 応仁の乱で京の市街地と西陣一帯は荒廃した。公家屋敷と公家階級も没落した。因みに私は1970年代後半の大学時代、西陣の千本中立売を下がった町家の離れに下宿していた。当時もまたつい最近まで私は、同志社大学の南側にある京都御所が代々京都の中心地だと思っていた。しかし本来の平安時代の平安京、大内裏は現在の京都御所から約1キロ程西の位置にあった。応仁の乱後の荒廃、戦国時代の百年の動乱を経て、やっと江戸時代になって京都御所は現在の場所に移転され、公家屋敷と共に整備されるに至ったとされる。つまりかつて私が下宿していた西陣千中の町家の辺は、正に大内裏の中心地であったのだ!千二百年の平安京の歴史とは、内乱と政争、武家勢力と寺社勢力との争いと拮抗があり、公家から武家そして町衆の台頭へと続く歴史絵巻でもあった。  
 その後も、現在も西陣に残る京町家、西陣の町衆が設立に尽力した今は廃校となった西陣小学校、かつて隆盛を極めた西陣の繊維問屋の親方衆が居住した紋屋町にある西陣最古の路地、法華宗総本山本隆寺、牛若丸がここから奥州へ旅立ったといわれる首途八幡宮、江戸時代の西陣織全盛の頃、一日に千両の商いがあったといわれる「千両ヶ辻」を一行は歩く。  
 最後に、西陣の石碑が立つ西陣織会館前に到着。ここで2時間半に及んだ古武氏によるツアーが、参加者一同の拍手と共に終了する。17名のツアー参加者の方々、スタッフの方、ガイドの古武さん、皆さんどうもお疲れさまでした!  
 尚、「まいまい京都ミニツアー」では他にも毎月、様々な京都ツアーを開催しています。詳細は、京都ミニツアー「まいまい京都」@
maimai-kyotoへ。  

ー写真カットは、総勢16名で直ぐ近くにある京町家、古武邸に向かう「まいまい京都ミニツアー」参加者の一行。5月6日午後、京都市考古資料館前にて撮影。  



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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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