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幕末の京都御所を歩く


2017/10/9  ”京都散策行”    
ー10月に入り、いよいよ秋本番へ!行楽に観光に最適の季節となりました。本日は、まいまい京都ミニツアー「[幕末]激突『禁門の変』!幕末動乱の中心御所を巡る」に参加したレポートを以下、お届けします。  
 10月1日、日曜日の午前、愛車のマウンテンバイクで京都御所を目指す。京都御苑内にマウンテンバイクを停め、歩いて集合場所へ。地下鉄「今出川駅」改札出口には主催者側の女性スタッフと本日のガイド、宇野通さんの姿が。早速、二人に挨拶し、ツアー参加料を払う。しばらくすると、ツアー参加者が続々と集合し、19名の参加者となる。  
 午前10時、ツアーがスタート!まず同志社大学西門前から宇野さんのツアーが始まる。続いて一行は歩いて、同志社大学キャンパスに隣接する冷泉家の屋敷へ移動。明治初期、東京遷都の際、唯一京都に残った公家。現在も冷泉家当主が住む。次に一行は、今出川御門から京都御苑内に入る。塀で囲まれた桂宮邸跡を左手に見ながら、近衛池に向かう。この一帯には明治以前の江戸時代、近衛家の大邸宅があった場所。近衛池にはカワセミも飛来し、春には満開の枝垂桜でも有名。  
 引き続き一行は御苑内を歩き続け、中立売御門へ。観光客が行き交い、警備員が立ち、大型観光バスがその下を通り抜ける現在の中立売御門。元治元年(1864年)7月19日に起きた禁門の変(1)では、天龍寺を出発した長州軍の国司信濃率いる部隊がこの中立売御門から総攻撃を開始した。幕府軍の会津藩は大した抵抗もせず、長州軍を通したといわれる。  
 一行は続いて宜秋門へ。公家の通用口であった旧九条門とも呼ばれたこの門から長州軍は、禁中の御所内に突入しようとした。しかし警備中の会津藩と激戦となる。長州軍は門のすぐ前にあった日野邸から宜秋門に向け、砲撃を加えた。宜秋門を150メートル程下がった場所に清水谷家の椋の木が立つ。この木の根元で、西郷隆盛が指揮する薩摩軍の狙撃隊に胸を撃ち抜かれた長州軍の総大将、木島又兵衛は自刃したとされる。  
 そして19名のツアー参加者は、終に蛤御門へ。実際は、現在の門より2、30メートル内側にあった。長州軍は門の外側ではなく、門の内側から攻撃を仕掛けた。蛤御門は、長州軍と会津藩・薩摩藩の幕府軍が激しく戦闘した最大の激戦地であった。そして一行は玉砂利の御苑内を歩き、鷹司邸跡へ。大木と石が置かれた一角に鷹司邸跡の石碑がひっそりと立つ。遅れて御所に参戦した久坂玄瑞(2)率いる久坂隊は、ここ元関白であった鷹司家の邸宅内に立て籠もった。  
 久坂は鷹司に天皇への直訴を哀願する。しかし公家の鷹司は長州との巻き添えを恐れ、久坂の嘆願を拒否。その鷹司邸を会津藩藩士の山本覚馬(3)が指揮する部隊が当時の巨砲、十五ドエム砲で砲撃。塀の一角が崩壊し、幕府軍は邸内に進攻。逃げきれないことを悟った久坂は、燃え盛る鷹司邸内で自刃した。享年25。  
 そして最後に一行は、九条池と九条邸跡を望む高倉橋へ。ここで改めて幕末の志士の志に思いを馳せながら、2時間のツアーは終了、解散する。  

<脚注> 
 ☆1)禁門の変:元治元年(1864年)7月19日、京都市街で長州藩が会津藩・薩摩藩を中心とする幕府軍と武力衝突した事件。   前年の「八月十八日の政変」により京都を追放された長州藩が上洛・挙兵し、7月19日未明に京都御所に向けて総攻撃を開始   した。尊王攘夷派の長州軍は2000人、幕府軍はその10倍の20000人。大砲も投入された激闘の末、長州軍は敗北。中でも  蛤門での戦闘が最も激戦であったため、「蛤御門の変」とも呼ばれる。  
   禁門の変の激戦で京都市街は炎上。3日間市街は燃え続け、市街地の3分の1約3万戸が焼失した。  
 ☆2)久坂玄瑞:幕末の長州藩士。18歳で吉田松陰の松下村塾に入塾。安政の大獄で師の松陰が刑死後、久坂は尊王攘夷運動  の中心人物となる。八月十八日の政変後、長州藩の復権を目指し、京都で政治工作を行う。禁門の変では鷹司邸内で幕府軍と  戦うが、敗北。久坂は邸内で自刃した。享年25.   
 ☆3)山本覚馬:幕末の会津藩士、砲術家。禁門の変では砲兵隊を率いて参戦し、勲功を挙げる。後に眼病のため、ほとんど失明  状態になる。鳥羽・伏見の戦いで官軍に捕らえられるが、後年顧問として京都府政を指導。京都の府政・近代化に貢献した。米   国留学から帰国した新島襄と知り合い、明治8年(1875年)、新島と共に同志社英学校(後の同志社大学)を設立。その後、新   島は覚馬の妹・八重と結婚。   

ー写真カットは、禁門の変の激戦、蛤御門を見上げるツアー参加者一行。門の下部の門柱には弾痕が今も残る。10月1日撮影。 

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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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