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レデイ・ガガ「ポップ・アイドル論」 (9)

「アイドル・ポップ論」”レデイ・ガガ編”第3弾    
  ~かくして、ステファニーは、レデイ・ガガになった    

 ステファニーは、両親をステージに招待した。父親は言った。「娘が何をやっているのか、理解できない」しか
し、ステファニー、後のガガは、ストリップ・クラブでゴーゴー・ダンサー(メインのストリッパーではなく、下着姿で踊る)をすることで、ステージ上でエンターテナーとして観客と一体化する実体験を経験することになる。
 その後、敏腕音楽プロデユーサー、フサーリとの知遇を得て、ステファニーの人生は一変した。ある時、フサー
リがクイーンの楽曲「Radio GaGa」をもじって、Lady Gaga と彼女にタイプで送り、芸名が決まったと
いわれる。   
 レデイ・ガガは、20歳時の誕生日にデフ・ジャム・レコードと契約し、作曲家としてアーテイストに楽曲を提供する。ところがその契約は、突然解除された。デフ・ジャム・レコードから解雇されたことを知ったガガは、フ
サーリに電話をかけ、叫んだ。「クビになったわ!」   
 結局、この出来事がガガを変え、以後「自分の営業は、自分でやるべきだ」と方向転換する。フサーリは、やがて友人の音楽プロデユーサー、レッドワンをガガに紹介する。二人は意気投合し、その後、数々のヒット曲を生み出すことになる。   
 ここに、「作曲する」「歌う」「踊る」「ファッションで魅せる」と三拍子そろったアーテイスト、レデイ・ガガが改めてデビューし、ワールド・ツアーを開始する。2008年、ガガは、5人編成のガールズ・グループ、
「プッシー・キャット・ドールズ」のワールド・ツアーに参加。作曲のできない彼女たちよりも、ガガの方が各地
のコンサートで注目された。   
 2008年1月、ガガは、デビュー・アルバム「ザ・フェイム」制作のためロスへ。再びレッドワンとスタッフ
たちは、スタジオに集まった。そして、たった1週間でアルバムを完成させたのである。   
ー以下、第4弾へ続きます。    

  Bye now.See you tomorrow.    

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二階堂 新

Author:二階堂 新
 1955年生まれ、京都在住。フリーライター、フリーカメラマン、作家、企画主催者。皆さん、ヨ・ロ・シ・ク!

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